2009年06月20日

スペクトルデータベースは化学データベースの1つ

スペクトルデータベースは化学データベースの1つ。分光法において、既知試料のスペクトルをデータベース (DB) として蓄え未知試料のスペクトルから検索するシステムを備えれば、その未知試料の同定ができる。使用者が自分のコンピューター上にデータベースを置いて使用するインハウス型とデータベース提供者のコンピューターにアクセスして使用するオンライン型とがある。オンライン型にはインターネット経由で利用できるものもある。

質量スペクトルのように線スペクトルとなることが多い場合はピークの位置と強度のみをデータとして保存するのが一般的で、そうすることにより少ないデータ容量で十分な解析ができる。だが赤外分光法のように測定した全周波数範囲にわたり幅広いピークが重なって出現するスペクトルでは、測定範囲の全点の強度を保存するフルスペクトルデータベースの方が有用性が高い。
スノーボード
ベジタリアニズム
キャラクター
絵画
甲殻類
潮干狩り
相撲
就学前教育
月経
緩歩動物
エイズ、HIV感染
信越地方
切り絵
鳥類
新婚旅行
盆栽
夜景
御節料理
カーナビゲーション
里山

質量スペクトル — EI-MSの開裂パターンをピークデータとしたものがほとんど。GC-MSのように膨大なデータの得られる測定ではDB検索が必須であり、測定装置に付属していることが多い。
赤外分光法 — フルスペクトルと検索用のピークデータを持つものが多い。後述のデータベース提供者によるものや測定装置に付属のものなどがある。
13C NMR — 化学シフトをピークデータとしたものがほとんど。スペクトルと有機分子の構造との相関が非常に強いので、測定試料の推定構造からスペクトルを予測し実測スペクトルと比較することで、DBに含まれない有機分子の構造推定が可能である。後述のサトラーやACDのデータベースはこのスペクトル予測機能 (prediction) を備えている。
1H NMR — 化学シフトをピークデータとしたものや、それにフルスペクトルを追加したものがある。フルスペクトルは測定磁場により大きく変化し、測定磁場は測定装置により異なるので、フルスペクトルだけでは検索などに使いにくい。
粉末X線回折 — 主に無機化合物の同定に使われる。測定装置に付属していることが多い。

2009年06月02日

第1回から第4回までのコミンテルン世界大会

第1回コミンテルン大会は1919年3月2日より3月6日までモスクワで開催され、30か国から52名の代表が参加し、コミンテルンの綱領及び「ブルジョワの民主主義」と「プロレタリアートの独裁」についてのレーニンのテーゼが満場一致をもって可決されている。

コミンテルン執行委員会の最初の議長はグリゴリー・ジノヴィエフであり、1919年から1926年まで務めているが、決定的な影響力を持っていたのは1924年1月のその死までレーニンであり、その革命に関する戦略は1902 年のパンフレットWhat Is to Be Done?(なすべきことは何か?)に説明されている。レーニンのリーダーシップの下におけるコミンテルンの主たる方針は、国際的にプロレタリアの革命を助けるための共産党が世界中で設立されなくてはならないというものであった。民主的に決定し、しかしいかなる決定がなされても規律ある態度でそれを支持する「議論の自由、行動の統一」という彼の民主集中制の原則は各党によって共有された[10]。この時期には、コミンテルンは「世界革命の参謀本部」として知られるようになっている[11]。

第2回コミンテルン大会は41か国から218名の代表が出席し、最初はペトログラードにおいて1920年7月19日に開会され、7月23日から8月7日の期間にはモスクワにおいて続けられている。世界共産運動の組織原則、つまり共産党の役割と構成が主要な議題とされ、可決を見ている。この大会に先立ち、レーニンは全ての社会主義党に送られた21項目の前提条件を含め、数多くの文書を送付している。会議はコミンテルンに参加を望むあらゆるのグループに対して、その21項目の条件を参加のための条件として採択した。その21項目の条件は共産党と他の社会主義のグループの間の区別を求め[12]、コミンテルンの各部にブルジョワ国家の正当性を信用しないことを要求している。また、民主主義的な中央集権主義の方向に沿った党組織の強化も求められ、党広報部と議会内会派は党指導部の直接の管理下に置かれるものとされた。

植民地化された世界の政治情勢に関して、第2回コミンテルン大会は植民地化された国々のプロレタリアート、農民および地元のブルジョアジーの間で形成されるべき統一戦線を求めている。大会前にレーニンが立案した21の前提条件の中に全ての共産党は植民地でブルジョワ的民主主義の解放運動を支持しなければならないと規定した第11項の命題がある。しかし、かなりの代表者がブルジョアジーと同盟する考えに反対し、かえってこれらの国々の共産主義の動きに対する支持を求めた。メキシコ共産党の代表として出席したM.N. Royもその非難を行っている。会議は第8項目になったものの中から、その「ブルジョワ的民主主義」という言葉を削除した[13]。
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新しい国際共産党たるコミンテルンを支持するか否かをもとに多くのヨーロッパの社会主義党が分裂した。フランスのSFIO("French Section of the Workers International")は1920年のTours Congress において脱退し、これが新たにフランス共産党(初めは"French Section of the Communist International"(コミンテルンのフランス部) - SFICと呼ばれていた)を創設することにつながる。このような創設により他にも1920年にはスペイン共産党、1921年にはイタリア共産党とベルギー共産党などが誕生している。

第3回コミンテルン大会は1921年6月22日から7月12日にかけてモスクワで開催され、52か国から605名の代表が出席し、主に労働階級の獲得手法について審議している。この大会の書類は状況が好ましかった際に闘争を「内戦」に変えることを可能にした手段、及び「公然とした革命蜂起」について述べている[14]。レフ・トロツキーが顕著な役割を演じた1922年11月の第4回大会はこのムードが続いた[15]。

第4回コミンテルン大会は58か国から408名の代表が出席し、最初はペトログラードにおいて1922年11月5日に開会され、11月9日から12月5日の期間にはモスクワにおいて続けられている。レーニンの出席はこの大会が最後となった。統一戦線に関する戦術討議が議題とされたほか、レーニンはコミンテルン各支部のボリシェヴィキ化、さらに各国共産党がロシア共産党の経験を重視することを強調している。

コミンテルン史の「第一期」として知られているこの初期、ロシア内戦の中で攻撃されていたボルシェビキ革命とヨーロッパ中の革命の波(英文記事)により、コミンテルンの優先事項は十月革命を輸出することであった。一部の共産党は秘密の軍事組織を持っていた。ドイツ共産党のM-Apparatはその例である。その目的は共産主義者が信じていた近い将来のドイツ内戦に備えること、及び共産党に潜入していたかもしれない敵と情報提供者を粛清することであった。準軍事組織である赤色戦線戦士同盟も存在していた[16]。

この時期、コミンテルンは1919年のハンガリー・ソビエト共和国を初めとしてヨーロッパ全域でいくつもの革命に関与している。ソ連からは数百の扇動者と経済援助が送られ、レーニンはその指導者であったクン・ベーラと定期的に連絡を取っていた。直ちに公式の「政府革命評議会のテロ集団」が編成され、それは非公式に「レーニン・ボーイズ(Lenin Boys)」として知られた[17]。次の企てはハレ発ライプツィヒ行きの急行列車をダイナマイトで爆破する計画を含めた1921年のドイツ国内における「3月行動(March Action)」であった。これが失敗するとレーニンはドイツ共産党の指導者であったポール・レビ(Paul Levi)を権力の座から追放することを命じている[18] 。新しい企てはルール危機の際に行われた。赤軍が動員され、計画された暴動の支援に向う構えとなった。ドイツ政府による断固とした措置はその計画を中止させたが、例外としてハンブルグでは伝達の間違いにより200名ないし300名の共産主義者が警察署を襲撃したがすぐに鎮圧された[19]。1924年にはエストニア共産党によるエストニアにおけるクーデターが失敗している[20]。

いくつかの国際組織は、この期間にコミンテルンが支援している:

赤色労働組合インターナショナル(プロフィンテルン – 1920年結成)
Red Peasant International(赤色農民インターナショナル Krestintern – 1923年結成)
International Red Aid(インターナショナル赤色支援機構 MOPR – 1922年結成)
Communist Youth International(共産主義者青年インターナショナル 1919年再結成)
Red Sports International(赤色スポーツ・インターナショナル Sportintern)
International of the Proletarian Freethinkers (プロレタリア自由思想者インターナショナル1925年 – 1933年)
League against Imperialism(反帝国主義同盟 1927年結成)
1924年にはモンゴル人民革命党がコミンテルンに参加[21]。中国において最初は中国共産党と中国国民党の両方を支援している。1927年の蒋介石との決定的な決別の後、スターリンはこの時は失敗した反乱を援助するために個人的な特使を送っている

2009年04月29日

偽書(ぎしょ)

偽書(ぎしょ)とは、製作者や製作時期などの由来が偽られている文書・書物のこと。主として歴史学において(つまりはその文献の史的側面が問題とされる場合に)用いられる語である。単に内容に虚偽を含むだけの文書は偽書と呼ばれることはない。

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矯正歯科・リラクゼーション関連医学トレンディサーチ

よく似た言葉に(文書としての)「贋作」がある。贋作は来歴に関する虚偽を含まない模倣本、便乗本などを指す、と区別されることもあるが、必ずしも明確に区別されるとは限らず、時として混同されることもある(ちなみに英語のforgeryにはどちらの意味もある)。本項目では、便宜上来歴に虚偽を含む文書を偽書とした上で概説と例示を行い、併せて関連するトピックについても扱う。

字面から「偽り」すなわち無用と誤解されがちであるが、完全に学問にとって無意味とされる物は後述のオカルト的・詐欺的な例外を除けば少ない。焚書や経年劣化などで歴史上に失われた文書が多いことを鑑みれば、資料が残っている分まだマシな面があるといえる。当時の為政者や作者(と推定される人物)の心理面やその影響力を考察する点では歴史学上の価値もあるが、作為上の意図も踏まえ厳密に検証する必要がある。また民俗学などで民間信仰の変遷を辿る際には手がかりになることもある。偽書の難しい点は宗教・政治的なイデオロギー性を含む例が多々あることであるが、宗教書の場合その意義を必ずしも否定するものではなく両者は別の範疇に入ることに留意する必要がある。また、意図した人為の反映されがちな文献資料 (歴史学)の欠点を補うため考古学的結果(考古資料)に照らし合わせることも行われる。

2009年04月14日

袁 隗(えん かい)

袁 隗(えん かい、? - 190年)は後漢の太傅、都卿侯。太尉、安国康侯袁湯の子。また大将軍袁紹・後将軍袁術らの叔父にあたり、袁術の父で司空、安国宣文侯袁逢の弟である。字は次陽。

若い頃から南陽太守等などの顕官を歴任した。また汝南袁氏は婚姻外交が有名であるが、袁隗の妻は扶風の名族馬氏の馬融の娘である。 霊帝の初め頃より九卿に至り、兄で汝南袁氏宗族の主、袁逢よりも先に三公となった。三公のうち司徒に2度就任し、後には上公の太傅と為り都郷侯に封ぜられた。袁隗の三公在位年数は霊帝時代では、張済についで長い。袁逢・袁隗はともに袁紹に期待しており、その結果、袁紹は成人する前に郎中になっている。これは袁隗らが当時、大臣にあたる九卿の位にあったことによるものであろう。三国志の袁紹伝の注で引用された『英雄記』によれば、若年期の袁紹の振る舞いを袁隗が非難し、厳しく指導したため袁紹も素行を改めたとある。なお『後漢書』では、改めなかったとしている。

司徒にあるころから、大将軍何進とともに「儒学行義」の者を引き立て、党錮の禁に連座した人々を積極的に中央官界にひきもどした。一時期、失脚するも少帝の即位とともに後将軍から太傅となった。直後、廃立問題がわきあがり、董卓と袁紹が対立し、袁紹は出奔したが、袁隗は都にとどまった。翌年、いわゆる反董卓連合が結成された時、盟主の袁紹の叔父であったことから、本来故吏にあたる董卓によって三族ともども殺害された。袁隗の門生・故吏は多く、彼の死後その遺体を董卓より奪い返そうとする者があり、董卓は恐れて遺体を蔵に隠した。董卓が誅殺されるや、門生・故吏の手によって遺体は葬され、また董卓の遺体は袁氏の門生・故吏によって辱められた。  袁満来、袁懿達、袁仁達の三子があったというが、満来は霊帝末に病死ししている。史料によっては董卓に「三子」が殺害されたともあるが、「三族」の誤りの可能性も高く、他二子についても、どの段階で死んだかは判らない。

カツサン オーダー メルトン キートーン 市田柿 オーララ ミルク 総合山風 スズラン レングス もくず フリル ジスト カッター チュニジ 紅の空 ピンプリ 凪笛 蜃気楼 除の鐘 パトロール オーバー リンター ダイア ヒプノ フィート ズーム ミニコミ 総合大河 マシン トッシュ テトラード フラワー シーエス ラカイト フシグロ トラッ オパール ネービー リスク ザーボード ボエポン ダイジ マター スケール セクト アスン アサイン チューン アース


2009年03月30日

KY語(ケーワイご)

KY語(ケーワイご)及びKY式日本語は、日本語の文章を略して各単語の先頭のローマ字・数字を組み合わせた略語群。その代表的存在であるKY(空気読めない・読めてない)は2007年ユーキャンの新語・流行語大賞にエントリーされるなど、ブレークした

まず、欧米においては頭文字略語は一般的であり、複合語のみならず文や節を頭字語に略すこともある。例えば、英語の"ASAP"("as soon as possible"の略)やフランス語の"R.S.V.P."("Répondez s'il vous plaît")のように、日常的に行われている。

また、日本においても、文や節の各単語の先頭のローマ字を組み合わせて略語にすることは最近始められたわけではなく、少なくとも昭和期から行われていた[2]。例えば、「もててもてて困る」を略した「MMK」は、大日本帝国海軍で使用されていた俗語とされる。

1990年代中頃に若者言葉として注目されることとなる。当時コギャルと呼ばれていた10から20代女性で広まり、ギャル語として頭文字略語は認知された。その後それらの単語は死語となるが、2007年末に「KY」がメディアに取り上げられ、再び注目されるようになった。その後、2008年にKYに代表される頭文字略語をまとめた書籍が2冊発行された。

著書における定義 [編集]
その2冊の著書において、KY語、またはKY式日本語として、それらの頭文字略語の定義が後付けながら行われている。両著書共に、KY内閣(当時の内閣であった安倍内閣を指す)という単語がメディアで頻繁に使われていたことからKYを代表した言葉群としている。

KY語辞典
「KY語」はローマ字略語の1カテゴリーである
英語の略語(欧米から欧文略語の体裁で入ってきたもの)は「アルファベット略語」として区別する
KY式日本語
(1)文節(句)、(2)語、(3)語を構成する部分、などの最初に来るローマ字で表した略語のことである
英語の単語の頭文字から出来ている略語は(中略)区別する
英語を使っていても造語であれば広義のKY語としてもよい
後付けである(定義が流行った後に行われている)ため、必ずしもKY語ないしKY式日本語という単語は一般的に認知されているとは言い切れないが、メディアではKYをはじめとする頭文字略語群を指す言葉としてそれらを使われることがある。無論、KYなどの言葉群が流行っていた2007年当時はKY語ないしKY式日本語という単語・概念は存在していない。あくまで、それぞれの著書内での定義に過ぎない。
スチック プロパ セッター スロープ サブセ ソンソ キラウエ くるくる デイユース ニクロム ルーガル ドードー トリコロ マリン ハイチ キュー ナビユー ワンダラー カバレ ファイト さやえん カスミソウ グラフ ラードツ リング シンプル パイロー サイン ワーク ワイヤ スペルラ ファイラー スペアイト ナビドウ クトリン スープ ドット スイート 弥生姫 クレド タフネス ダーク フレーバ アッラー フロー リキッド クチュリ フォア ザンス ファイブ

語例 [編集]
KY語ないしKY式日本語は2007年に流行した略語だけをカバーせず、それらより前から存在した略語も定義内の言葉としている。例えば前述のギャル語もKY語ないしKY式日本語内の言葉としており、MK5(マジキレる5秒前:90年代コギャルの間で流行した言葉)のような単語も定義内としている(チョベリバのような単語は定義外である)。

それぞれの著書では定義は似ているがカバーする単語のカテゴリの範囲が異なるため、多少の語例を述べる。

KY語辞典(インターネット上で流行っている単語も網羅されているのが特徴)
JK - 女子高生、常識的に考えて、冗談は顔だけにしろ
QBK - 急にボールが来たので(柳沢敦の項目を参照)
kwsk - 詳しく
GNP - 頑張れ日産パルサー(都市伝説一覧#就職活動も参照)
KY式日本語(文章をローマ字化して頭文字を取っているのも網羅しているのが特徴)
AM - 後でまたね
FK - ファンデーション濃いね
HK - 話変わるけど
これら語例に差があるのは、KY語辞典ではとにかく頭文字略語を網羅しようとしたのがきっかけであるのと、KY式日本語は「第2回『もっと明鏡』大賞 みんなで作ろう国語辞典!」に寄せられたものに前述のような頭文字略語が多く見られたことから始まるのと、スタンスに違いがあるからである。

これらの単語が生まれた背景 [編集]
両著書で述べられているように、これらの単語が生まれた背景には仲間同士でのみ通じる単語を使うことによって仲間意識を高めるといった目的があったからだろうとされている。欧米での略語は単に文字数の省略化が目的としているケースが多いのに対し、日本の場合はそもそも略す必要はないが暗号通信のような鍵を共有することによって、両者の仲間意識を高めようとしているのではないかと著書内では指摘している。例えば上記で例示したJKのように、TPOや使われるコミュニティによって全く異なる意味を複数持つのも特徴でもある。従って、これらの本で紹介されている単語を機械的に覚えさせて読者が時代の流れに着いていかせようとしているわけではなく、あくまでこういった単語が使われているという紹介程度にとどまっている。

ブレーク後のKY語 [編集]
2008年8月に発行された「渋谷語事典 2008」において、KY語というカテゴリで頭文字略語が紹介されている。つまり、渋谷語事典 2008の出版時において、渋谷の女子中学生・女子高生の間ではいわゆる「渋谷語」の中の1つとしてこのような略語が使われているということが紹介されている。なお、紹介されている事例はKY式日本語で紹介されているような文章をローマ字化して頭文字を取っているのものが多い。なお、「渋谷語事典 2008」はKY式日本語やKY語辞典のスタンスと異なり、紹介された事例を積極的に覚えて活用していこうという趣旨の書籍である。

2009年03月16日

秋はモミジの紅葉が美しい

秋はモミジの紅葉が美しい。ロープウェイで紅葉谷を見下ろしながら標高535メートルの弥山(みせん)の頂上まで上ることもできる。厳島は神の島として木材の伐採が禁じられていたため、ほぼ自然状態の森林で覆われている。植生はアカマツが主体である。ただし、モミのように低海抜地域には通常生育していない木も生えており、この点は謎とされている。

島には多くのシカやサルがいる。サルについては江戸時代までの記録がなく、近代になって小豆島のニホンザルを人為的に移入したものとされる。これに対し、シカには近代以前からの記録が残っており、厳島神社の神使とされている。しかし、戦後米軍が宮島にやってきて、鹿をハンティングで絶滅させたため現在の鹿は奈良からの移入である。干潮の砂浜には多くのヤドカリが見られる。
ファナテ ピータ ロール ネット ズック リゾラバ 君の瞳 バラブル ハンズ グラジ カナル ウェア ポテト イオン トッピグ タイペイ ライボー ナビスカ セリング サーマル リシン ぐんじょ かぼちゃ ワラビ ジェトロ 中葉春菊 てつむぎ スケボー ヨセミ カノ最新 カーゴ たかのす クチン マツバ 紅葉坂 リミット セイウチ 曼珠沙華 ブレード ワンマ イエロー スクリ キラー ヒュー フリージ スチナ さいさく パピル ライク キッズ

近年、厳島神社の社殿・大鳥居付近で海藻であるアオサが繁茂している。景観を損ない、また腐って悪臭を放つので、宮島観光協会と宮島町役場、地元自治会がボランティア活動を主催し、年数回清掃活動を行っている。繁茂の原因は明らかではない。水質の悪化と水温の上昇にあるのではないかといわれているが、広島湾の水質は高度成長期に比べてむしろ大幅に改善している。逆にきれいになりすぎたことで、カキの養殖などに影響が出ている。宮島の他の地域ではアオサがとくに増えている徴候は観察されず、むしろ減少している場所もある。このため、周縁海域の埋め立てによる海流の変化が影響しているという意見もある。

また、シカが大繁殖(現在島内には600頭が居るものと推測される)し、観光路でシカに出会う機会も多い。エサが不足して観光客の弁当や食料品、挙げ句の果ては観光パンフレットや、紙幣や紙袋など、紙類を狙って食べるなどの被害があり、注意を要する。 観光協会がシカの角を切っているが、山に入ると角のあるシカに出会うこともあるため、怪我をしたりする恐れもある。

弥山の標高 [編集]
厳島の最高峰「弥山(みせん)」の標高値は,国土地理院の1/2.5万の地形図を見ると529.8mと表記されてきた。これは1892年設置の二等三角点の高さであるが、現在では三角点より南南西方向約16.8mの地点が535mであることが確認されている(国土地理院、2005年10月6日14:00発表)。

文化・施設・観光 [編集]
旅行情報誌等の紹介記事には、「日本三景」として厳島神社の朱の大鳥居の写真がよく使われるが、本来の日本三景は弥山山頂から見える、江田島、大黒神島等の多島美を指す。

宮島口から約10分程で宮島に渡ることができる。また、広島港(宇品)から、便数は少ないが宮島に高速船が運航されている。

毎年8月14日には宮島水中花火大会が行われ、県内外から多くの見物客が訪れる。

島内には厳島神社以外にも大聖院をはじめ多くの仏閣がある。また、厳島神社宝物館、宮島水族館、宮島歴史民俗資料館、広島大学大学院理学研究科附属自然植物実験所、宮島町伝統産業会館などの文化施設がある。

国内外から観光客が多く訪れ、その数は年間300万人近い(2006年の船舶運輸実績(片道)は約283万人[4])。宮島桟橋から厳島神社へと続く道沿いには多くの旅館が点在している。

2007年から毎年1回、廿日市商工会議所により「宮島検定」が行われている。検定では、宮島の歴史や文化・自然に関する知識を問う問題が出題される。合格者には認定カードが発行される[5]。

同商工会議所は、宮島に関する多くの情報を網羅した「宮島本」(宮島検定試験の公式参考書も兼ねる)を発行している。

2009年02月26日

アストラギウス側領域とバララント側領域

アストラギウス銀河
本作の舞台となっている架空の銀河。詳しくはアストラギウス銀河を参照。渦状銀河であり、その直径は10万光年以上。アストラギウス側領域とバララント側領域に二分した戦争状態で、中立地帯として不可侵宙域がある。標準アストラーダ語が共通言語(ただし、劇中では一般アストラーダ語とも言われていた)。
アストラギウス暦
アストラギウス銀河の統一宇宙暦。マーティアルの原型となった原始宗教が惑星ジアゴノにて神の啓示が書かれたヤーダル碑を発見した時を紀元とする。アストラギウス暦による百年戦争の終結は7213年である。この暦ではギルガメス暦元年が4871年、バララント暦元年が4153年になる。
派生作品である『機甲猟兵メロウリンク』を含め、しばしば「アストラギウス歴」と誤表記されていたが、『赫奕たる異端』ではこの表記に直されている。
アッセンブルEX-10
クメン王国が反乱勢力に対抗するため創設した政府軍基地「アッセンブル」の最も新しいもの。兵員の大半が傭兵である。EX-10所属の傭兵部隊は、百年戦争終結で退役したAT乗りが多く参加し、ビーラーゲリラに対し最も戦果を挙げた有力な部隊であった。ウドを脱出しデライダ高地での戦いを終えたキリコも参入し、カン・ユー大尉の下で特殊任務に就く。後に司令官のゴン・ヌー将軍はPSの奪取と引き換えにメルキア軍に迎え入れられるよう協定を結ぶが、戦後のクメンにおける治安・国体整備の障害になるとみなされ、内戦の最終段階でメルキア降下部隊の攻撃により部隊ごと殲滅された。なお、劇中の時点では、アッセンブルEX-1〜9のうち、EX-6、EX-7はビーラーゲリラにより既に壊滅させられていた。
異能者
アストラギウス暦4000年頃に文明が高度に発展したクエント人の間に誕生した一種の突然変異種。コンピューターへの適応性が異常に高く、肉体の代謝能力も常人を遥かにしのぐ。彼らはクエント人としては異常なまでの野心を持つため、平和的なクエント人はこれを忌避し、激しい戦闘の末にクエント星から追放した。銀河各地の未開星系に追放された彼らは、原住民に介入することでそれぞれの文明レベルを引き上げ、ついにクエント星帰還を目的とした超空間航法を開発するまでに至った。しかし、クエント星に戻った彼らは既に物質的肉体的限界点に達し、種としての限界が近付いていた為、自らの意思を原形質保存装置に蓄え、集合意志体「ワイズマン」を名乗りアストラギウス銀河の神として歴史を影から操るようになった。連綿と続く銀河大戦も、戦争によって彼らの文明を引き継ぐ後継者を探す目的でワイズマンがギルガメス・バララント両陣営を裏から操作したものである。
ウド
惑星メルキアのローラシル大陸中央部分に存在する地下階層都市。もともとは戦争中の爆撃後のクレーターを利用して建設された軍事施設であったが、軍が施設を放棄した後戦争難民が集まり都市化されていった。直径は5km、全高は3kmに及ぶ。戦後の混乱期には、難民や軍の帰還兵が流れ込むようになった。そこでは軍事物資や兵器の密売、売春や人身売買、軍の施設であった頃のコンピューター工場跡から採掘されるヂヂリウムの闇取引、バトリング興行などが行われ、その利潤を目当てに治安警察や暴走族ブーン・ファミリーといった武装集団が街を牛耳り、暴利を貪っていた。軍から脱走したキリコが、ゴウト、バニラ、ココナと巡り合った場所でもある。7214年の本編第1クール終盤でメルキア軍の空挺部隊と治安警察、更に秘密結社の増援との戦闘において崩壊した模様。ウド周辺は大気が汚染されており、赤色の有害な「酸の雨」が降る。
マニャック フォーク 苺姫 夕べの鐘 オロシ メイド セル チウム スケート オカラヌス ジャグ スマイル 平安夢 リッジ ブング トランプ クション カセット スピリ ラフォーン シーダ トリプル ビロード ウエルト リング ネゲブ あかぼり ピグミー ラッフル シンカー リスク だいふく マシン バルク フリスビー キエフ ミルミル マルキ タッチ セグメント ネブラス セニョー ハマス とりゅふ アップ リヤス ラピス べにかば メモ スキーデ

ギルガメス連合
アストラギウス銀河をバララントと二分する勢力。劇中では「ギルガメス星域」または「ギルガメス同盟」と呼ばれ、「〜連合」という名称は後日関連ムックのライターが創作したものである。反バララント軍事通商連合としてアストラギウス暦5500年頃にギルガメス星系を中心に形成された(なおギルガメスは初代首星となる)。第3次銀河大戦ではバララント軍による攻撃で初代首星ギルガメスと二代目首星ビシュティマが崩壊し、メルキアが三代目の首星に就いた。国力ではバララントに劣り、第3次銀河大戦中盤までは劣勢に立たされていたが、メルキア主導の元でATの開発、戦場への大量投入により戦局を挽回した。
クエント星
アストラギウス銀河のほぼ中心部に位置する。過去には超古代文明が発展し栄華を極めたが、その文明はアストラギウス暦4000年頃に崩壊し、7210年代にはその面影も無い砂漠に覆われた惑星と化している。多くの原住民は深い谷底で原始時代さながらの生活をしており、高性能機器の部品に使用されるクエント素子の発掘と成年男性を傭兵として銀河各地に送りだす事が数少ない産業である。大柄なクエント人傭兵は、戦闘能力の高さと命令に忠実な事から、各地の戦場では高く評価されている。クエント人は政府を持たず、超古代文明の遺構の上に存在する唯一の都市、ゴモルが便宜上の首都とされているが、ゴモルの居住者も殆どは他星の人間であり、基本的にクエント人がゴモルを訪れるのは傭兵の募集があった時だけである。クエント事変後の周辺星域での古代クエント遺産を巡る争いが、第4次銀河大戦のきっかけを作る。
クメン王国
惑星メルキアの小国。ローラシル大陸の南端のバラミル半島に位置する農業国で、首都はザイデン。メルキアの中では戦争中の自然へのダメージは少なかったらしく、亜熱帯性気候でジャングルに囲まれた豊かな自然を持つ。またメルキアにありながらメルキア連邦には加盟せず、親バララントの姿勢を貫き完全な独立を求めようとしてメルキアの中央政府と対立状態にあった。しかしクメン王国内でも近代化を推し進めようとするクメン政府と近代化の犠牲となった国民の大半を占める農民による「ビーラーゲリラ」が武力闘争を繰り広げ、これに近代化によって特権を奪われた旧支配階級が合流して反政府組織「神聖クメン王国」を結成し激しい内乱へと発展していった。のちに内戦はメルキア政府の介入により終結、クメン王国はメルキア連邦に再加盟した。
サンサ
かつてはバララントの勢力圏に位置する惑星。バララントの交易の重要な地点でもあり、ギルガメスへの侵攻には中継基地が置かれた事もあって、戦略的には重要な場所であったため幾度となく戦火に見舞われる事となった。中でも7212年12月から翌年2月にかけての第3次サンサ攻略戦において、ギルガメス軍は特殊部隊・レッドショルダーを投入することで最終的には勝利を収めるものの、度重なる戦災によって大気の呼吸が困難になる程に自然環境が破壊され居住不能とされた(このため、惑星上での活動には酸素ボンベが必要不可欠となっている)。戦争終結によってサンサは不可侵宙域に指定され、僅かに残った住民が細々と生活している。当然ながら酸素がなくなったため植物はほぼ絶滅し、惑星上は砂漠が広がる不毛の大地と化している。
ヂヂリウム
半液体化金属の半導体。半透明の青い物質である。常温での超伝導効果をもつため、ATなどに搭載される高速コンピューター回路に不可欠とされる。触媒によって特殊な放射線を発し、第3次銀河大戦終盤には最重要の戦略物質として重視されるようになった。またギルガメスが開発したPSは身体機能の維持のため定期的な照射が必要とされている。企画初期の設定には「ヂライト・ヂゴル・ナトリウム」とする表記がありヂヂリウムの正式な呼称とも取れる。
表記は統一されておらず、「ジジリュウム」や「ジジリウム」とするものもある。
パーフェクトソルジャー
PSと略される。戦場で理想的な能力を発揮出来るようにするため、肉体や脳神経に人為的な処置をされた一種のサイボーグ。メルキア軍において開発され、秘密結社により奪取され研究が進められた。ATパイロットとしては優秀な能力を持ち、強靭な肉体と並外れた反射神経、精神操作による軍に対する高い忠誠心を有する。しかし身体機能の維持のためには定期的にヂヂリウムの照射を受けなければならず、また精神的な不安定さなどの問題があった。更に寿命も2年程度しかない。バララント側でも同様に開発され、こちらは肉体がより機械的に強化されていたが、やはり精神面に問題が残っていた。なお、『デュアルマガジンNo.9』P.28の記述によると、「PSはヂヂリウムがないと筋肉硬直を経て死に至る」というのは秘密結社の洗脳暗示による欺瞞で、最終的には筋力が常人並みに衰えて安定するとされる。
バトリング
ATを使う模擬戦闘の賭け試合。百年戦争の終結後、軍からあぶれたATパイロットたちが放出品のATを用いて模擬戦闘を行う。火器を使わずに格闘戦を行う「レギュラーゲーム」と、実弾を使用して実戦さながらの戦闘を行う「リアルバトル」、ATサイズの槍や刀剣類が使用される「ブロウバトル」が存在する。ごくまれにAT対地上戦艦、AT対機甲猟兵などAT対ATの枠組みを外れた異種格闘戦が行われることがある。
観客はどちらのATが勝つかを予想し、金を賭けて見物する。リアルバトルでは試合の性格上、パイロットのみならず流れ弾で観客にも死傷者が出るが、むしろ刺激的とされ好評である。ウドの街が発祥の地と言われており、戦争の長期化で大衆娯楽のほとんどが廃れた事もあって、娯楽に飢えた民衆から高い人気を博している。
ウドの街以外でも、ア・コバ(OVA『ビッグバトル』)やタ・ビング(OVA『機甲猟兵メロウリンク』第2話)、アグ(小説『青の騎士ベルゼルガ物語』)といった他の街でも行われている。
バララント同盟
アストラギウス銀河をギルガメスと二分する勢力。劇中では「バララント星域」と呼ばれ、「〜同盟」と呼ばれたことは無い(ムック編集スタッフの創作である)。また、主人公がギルガメス陣営の人間であるためバララントは劇中の描写が相対的に乏しく、内情や来歴に関する設定の多くもやはり関連ムックで創作されたものである。首星はバラン。アストラギウス暦5500年頃に、ギルガメスよりやや早く成立している。秘密主義と超国家主義の傾向が強い軍事大国で、その内情には窺い知れない部分も多いが、国家としてのまとまりや国力はギルガメスを上回っている。第3次銀河大戦では豊富な宇宙戦力をもって戦争中盤までギルガメスを圧倒したが、その後ギルガメスがATを開発、戦場に投入するようになると形勢の逆転を許してしまう。元々アニメーション本編で「百年戦争」は「原因もさだかでない戦争」と語られていたのだが、これもまた関連ムックでその戦争の「原因」が創作されている。関連ムック由来によると、バララントの国家体制は「戦時共産主義」であり、同時に「大バラン主義」と称される極端な宇宙進出・偏重主義を奉ずるとされる。バララントの歴史は宇宙進出とそれに伴う他星系の「解放」(=侵略)の歴史であり、体制下の他民族は同化・抑圧政策に遇していると言われ、バララントの浸透を恐れた諸星域国家による軍事通商同盟「ギルガメス連合」の成立を促す事となった。
秘密結社
元はマーティアルの一教区だったが、ワイズマンの超越的な力に魅せられてその手先となったとされる謎の組織。政界、軍部、財界などに影響力を持っていたとされるが、その実態は謎が多く組織の正式名称も秘密のままであった。組織の構成員はワイズマンの意志を実現するために暗躍し、その見返りとして地位と財産が約束されていたという。主な活動としては武器の開発・生産・売却があげられ、特にPSや新型ATの開発に力を入れていた。マーティアルで禁忌とされている人体に手を加える行為、つまりPS開発に携わった事が原因でアレギウムから破門された。
百年戦争
アストラギウス暦7113年から7213年にわたってギルガメス、バララント間で繰り広げられた銀河規模の戦争である第3次銀河大戦の俗称。ただしTV版本編では第3次銀河大戦の名称は登場せず、一貫して「百年戦争」と称される。百年戦争末期には、両陣営の200を超える惑星が、戦火に巻き込まれている。
不可侵宙域
ギルガメスとバララント、両勢力の立ち入りを禁止する中立宙域。5632年の星雲法制定では、聖地アレギウムがあるジアゴノ星などが指定される。7213年の百年戦争休戦条約ではサンサ星周辺など、終戦時に両陣営の支配が明確でない宙域が指定された。指定時期は不明だが代表的な宙域に、古代クエント文明のクエント星、アストラギウス銀河最大の銀行のあるアンティテーツ星などがある。
マーティアル
アストラギウス銀河全域において信奉されている巨大宗教。惑星ジアゴノの原始宗教が神の啓示を記したヤーダル碑の発見に端を発し、アストラギウス暦1000年に成立した。「闘争こそ調和と進化の源」の教義を持ち、軍事、政治、経済の面においても強い影響力を持つ。マーティアルの中枢は惑星ジアゴノのアレギウムに存在する根本聖堂にあり、法皇を中心とした中央集権的な組織として形成されている。5632年に成立した「星雲法」のもとでギルガメス、バララントの双方から保護されている。また銀河全域に広がった教区はセクターと呼ばれ、アレギウムから任命された枢機卿が赴任し指導に当たっている。第712代法王指名選挙と同時期にアレギウムで起きた事件は「アレギュウムの赫い霍乱」として庶民にまで知られるが、事件の詳細は一切公表されなかったため様々な憶測を呼び、影響力に陰りが見え始める。
メルキア
ギルガメス連合の首星。第3次銀河大戦開戦時はギルガメス連合への加盟が遅く発言権も低かったが、有力な惑星が次々に消滅した事やAT開発にみられる優れた軍事技術と豊富な工業力を背景に連合内で急速に台頭し三代目の首星の座に就いた。メルキアの政治体制は連邦制をとっており、その中ではいくつもの自治州や独立国家が存在する。第3次銀河大戦では致命的とはいかないまでも度重なる戦災を被ったことで人口が大きく減少し、治安も悪化している。キリコが従軍している数年の間に人口の3/4が死滅したという。
レッドショルダー
正式名称は第24メルキア方面軍戦略機甲兵団特殊任務班X-1。ATの右肩を血の赤に染めていた事に由来を持ち、俗に吸血部隊とも呼ばれる。キリコもかつては所属していた。
戦場におけるATの重要性が高まってきた第3次銀河大戦終盤、エリート部隊と謳われた第24メルキア方面軍戦略機甲兵団特殊作戦部隊の中において、ヨラン・ペールゼンの手によって更に徹底されたエリート部隊として創設された。第3次銀河大戦の末期の銀河各地の戦場で活躍し、中でも第3次サンサ攻略戦ではギルガメス軍に多大な戦果をもたらしている。
しかし、戦場における非戦闘員や民間人への残虐行為や行き過ぎた秘密主義が国際的な問題となり、停戦協定では部隊の解散までが合意事項に含まれるほどであった(このような事実はなく、急激に勢力をのばすペールゼンのやり方に危惧した軍上層部が情報操作を行ったと言う説もあるが、目撃者や元部隊員の証言もあるため、この説は信憑性が低い)。
戦争終結によって正式に解散された後、隊員の一部は秘密結社と結託して己の理想を追求するペールゼンの私兵となる。
TVシリーズ劇中では「正式にはメルキア戦略装甲騎兵団特殊任務班X-1」であるというキリコの台詞があった。ただし後に作られたウド編の総集編及び小説版では「メルキア戦略機甲兵団特殊任務班X-1」と訂正されていた。
また、青の騎士ベルゼルガ物語では正式名称が「メルキア機甲兵団2045部隊特殊任務班X-1」となっている。
ワイズマン
声 - 柴田秀勝
かつてクエント星を追放された異能者達がクエントに帰還後、地底深くの原形質保存装置に自らの意志を集合させ意識集合体となった時に名乗った名称。ワイズマンは肉体の無い意志だけの存在となって以降、古代クエント文明の超高度な科学力を背景に1000年以上にわたって銀河各地の文明に干渉し、組織や人材、情報などを操りアストラギウス銀河の歴史を影から操っていった。自らを神と任じ、人類からはその存在を知られる事無く、銀河を二大勢力によって分割統治させ人類に絶え間無い戦争を仕掛けるのであるが、これは自らの後継者の誕生を促すワイズマンの意志でもあった。力への愛ではなくテクノロジーによって神の存在に近づこうとし「神を見失った」ために「マーティアル」から異端として排斥された一派=秘密結社は、このワイズマンの信奉者であった。

2009年02月10日

以仁王/以仁王の挙兵

以仁王(もちひとおう、仁平元年(1151年) - 治承4年5月26日(1180年6月20日))は、平安時代末期の皇族。「以仁王の令旨」を出して源氏に平家打倒の挙兵を促した事で知られる。邸宅が三条高倉にあったことから、高倉宮と称された。
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後白河天皇の第三皇子だが、『平家物語』では兄の守覚法親王が仏門に入ったため第二皇子とされている。同母姉に歌人として名高い式子内親王がいる。母親は閑院流藤原季成の娘・成子だった。

幼くして天台座主最雲法親王の弟子となるが、応保2年(1162年)12歳の時に最雲が亡くなり還俗。永万元年(1165年)15歳の時に人目を忍んで近衛河原の大宮御所で元服したという。その後、八条院の猶子となる。幼少から英才の誉れが高く、学問や詩歌、とくに書や笛に秀でていた。皇位継承争いにおいても有力候補であったが、異母弟憲仁親王(高倉天皇)の生母である平滋子の妨害にあって阻止されたという。特に仁安元年(1166年)、母方の伯父である藤原公光が突如権中納言・左衛門督を解任されて失脚したことによって、以仁王の皇位継承の可能性は消滅した。また、父後白河法皇とも疎遠であったといわれ、天皇の皇子でありながら親王宣下も受けられなかった。

治承3年(1179年)の平氏のクーデタにより後白河法皇が幽閉され、以仁王も長年知行してきた常興寺領を没収された(治承3年の政変)。治承4年(1180年)4月、ついに平家討伐を決意した以仁王は、源頼政の勧めに従って、平家追討の「令旨(りょうじ)」を全国に雌伏する源氏に発し、平家打倒の挙兵・武装蜂起をうながした。

また自らも「最勝親王」と称して挙兵を試みたが、準備が整わないうちに計画が平氏方にもれた。5月15日、平氏の圧力による勅命と院宣で以仁王は皇族籍を剥奪され、源姓を下賜され「源以光」となり、土佐配流とすることが決まった。その日の夜、検非違使の源光長と源兼綱(頼政の子で後に以仁王側へ寝返った)が以仁王の館を襲撃したが、以仁王はすでに物詣を装って脱出していた。16日にはいって以仁王が園城寺に逃れているのが判明し、21日になって平家は園城寺への攻撃を決定。その中の大将に源頼政が入っていることから、この時点では平家は以仁王単独の謀反と考えていたと思われる。

源頼政はその日のうちに子息たちを率いて園城寺に入り以仁王と合流した。しかし園城寺と対立していた比叡山延暦寺の協力を得ることができず、また園城寺内でも親平氏派が少なくなく、このままでは勝ち目が薄いと判断した以仁王と源頼政は南都(奈良)の仏教勢力を頼ることに決めた。

治承4年(1180年)5月26日、源頼政が宇治で防戦して時間を稼いでいる間に以仁王は南都の興福寺へ向かい出発したが、同日中に南山城の加幡河原で平家家人の藤原景高・藤原忠綱らが率いる追討軍に追いつかれて討たれた。『平家物語』は光明山鳥居の前での戦死とする。

しかし王の顔を知るものは少なく、また鎌倉の源頼朝の計略もあって東国生存説が巷に流れた。以仁王自身の平氏追討計画は失敗に終わったが、彼の令旨を受けて源頼朝や源義仲など各国の源氏が挙兵し、これが平氏滅亡の糸口となった。なお、京都の朝廷は当初この令旨を偽物と考えていたが、後にこれが事実の疑いが出てきたこと、加えて以仁王が自らが平家の傀儡である高倉・安徳両天皇に替わって即位をすることを仄めかす文章が含まれていたことに強く反発した。後白河法皇にとって高倉天皇は治天の権威によって直に選んだ後継者であり、その子孫に皇位を継承させることは京都の公家社会では共通の認識であったためである。このため、京都の公家社会では以仁王の行動は次第に皇位簒奪を謀ったものと受け取られるようになっていった[2]。乱から16年経って既に平氏が滅び後白河法皇が没した建久7年(1196年)になっても以仁王は「刑人」と呼称されて謀反人としての扱いを受けている(『玉葉』建久7年正月15日条)。

なお以仁王には三人の遺児がおり、第一王子の北陸宮は源義仲のもとに逃れてその旗頭に奉じられ、また第二王子の若宮は平家に捕まり、道尊と名乗って仏門に入らされた。王女である三条宮は建久7年(1196年)に後鳥羽天皇より安楽寿院・歓喜光院などが譲与されている。

墓所・霊廟
京都府木津川市にある高倉神社には以仁王がまつられており、境内には以仁王の墓と伝えられる陵墓がある。後世、村人によって神社境内に葬られたという。
高倉神社のそばにある筒井浄妙墓という塚があり、この塚も以仁王墓の陪冢として王墓とともに宮内庁が管理している。

伝承
新潟県長岡市(旧小国町)には、以仁王が平家から逃れる際に越後国小国郷にたどり着き、そこで生活したという言い伝えがある。
福島県南会津郡下郷町の大内宿にも潜行伝説がある。以仁王を祀る高倉神社が現在も存在する。
以仁王の挙兵(もちひとおうのきょへい)は治承4年(1180年)に以仁王(高倉宮・三条宮)と源頼政が打倒平氏のための挙兵を計画し、諸国の源氏や大寺社に蜂起を促す令旨を発した事件。準備不足のために露見して追討を受け、以仁王と頼政は宇治平等院の戦いで敗死、早期に鎮圧された。しかしこれを契機に諸国の反平氏勢力が兵を挙げ、全国的な動乱である治承・寿永の乱が始まる。以仁王の乱、源頼政の挙兵とも呼ばれる。

保元の乱、平治の乱を経て平清盛が台頭し、平氏政権が形成された。仁安2年(1167年)には清盛は太政大臣にまで登りつめる。承安元年(1171年)、清盛は娘の徳子を高倉天皇に入内させた。平氏一門は知行国支配と日宋貿易で財を増し、10数名の公卿、殿上人30数名を占めるに至る。『平家物語』に云う、「平家にあらずんば人に非ず」の全盛期となった。

これには朝廷内部でも不満を持つものが多く、嘉応2年(1170年)には摂政・松殿基房と平重盛との間で暴力沙汰に発展した紛争が起きている(殿下乗合事件)。治承元年(1177年)には鹿ケ谷事件が起き、藤原成親、平康頼、西光、俊寛ら院近臣多数が処罰され、後白河法皇も事件への関与を疑われた。

治承2年(1178年)11月、中宮徳子は言仁親王を産み、直ちに立太子された。

治承3年(1179年)11月、近衛家の所領継承問題に端を発し、ついに清盛は兵を率いて京へ乱入してクーデターを断行。法皇は鳥羽殿に幽閉され、関白・基房は解任・配流、院近臣39名が解官された(治承三年の政変)。

そして治承4年(1180年)2月、高倉天皇は譲位し、中宮徳子の産んだ言仁親王が即位した(安徳天皇)。

大衆の両院誘拐計画
安徳即位直後の3月に1つの事件が発生している。それは、園城寺の大衆が延暦寺・興福寺の大衆に呼びかけて後白河・高倉両院を誘拐して寺院内に囲い込み、朝廷に対して後白河や前関白基房の解放、そして平家討伐命令を要求しようとした。摂関政治の解体以後、太政官は最高意思決定機関としての機能を喪失し、安徳天皇も3歳であったことから後白河・高倉どちらかが治天の君として院政を執る必要があった。その両院がいなくなれば朝廷は機能停止に陥るが、当時は「仏罰」の存在を武士達からも信じられていた時代であり、寺院の攻撃は一種の禁忌となっていた(鹿ケ谷事件自体が、清盛への延暦寺攻撃命令に対する平氏側の報復とする説もある[1])。このため、公卿たちには要求を認めるしか選択肢は無くなるというものであった。

実際に興福寺は同意、親平氏派が多い延暦寺でも反平氏派の恵光房珍慶の集団が参加の意思を示した。決行日を高倉が厳島行幸に向かう3月17日と決定したが、前代未聞の計画であったため、興福寺の使者が鳥羽殿幽閉中の後白河に打ち明けたところ驚いた後白河が平宗盛に事の次第を告げたために高倉の出発日が19日に変更されて失敗に終わった。だが、これを機に高倉と清盛の間で後白河の安全を理由に鳥羽院から京都市中への法皇の移動について協議された。5月14日の深夜、後白河は鳥羽院から八条坊門小路の御所に入った。引き続き高倉が院政を執ることになったものの、幽閉生活から解放されることになった。以仁王が園城寺や興福寺を頼りにした背景にはこの出来事の存在が背景にあったと思われる。

以仁王と源頼政
微妙な立場にあったのが後白河法皇の第三皇子・以仁王であった。彼は学芸に優れた才人だったが、平氏政権の圧力で30歳近い壮年でなお親王宣下も受けられずにいた。それでも、莫大な荘園をもつ八条院暲子内親王(後白河法皇の異母妹)を後ろ盾に、彼女の猶子となって、出家せずに皇位へ望みをつないでいた。だが、安徳天皇の即位によってその望みも断たれ、経済基盤である荘園の一部も没収された。

源頼政は源頼光の系譜に連なる摂津源氏で、畿内近国に基盤を持つ京武士として大内守護に任じられていた。保元の乱では勝者の天皇方につき、平治の乱では形勢を観望して河内源氏(頼光の弟の頼信の系統)の源義朝に与せず、清盛に味方した。河内源氏が没落する一方で、摂津源氏の頼政は政権内に留まっていた。

平氏全盛の中、源氏の頼政は地味な立場であり続けたが、治承2年(1178年)に清盛の推挙により従三位に昇進した。『平家物語』では、不遇の身を嘆く和歌を詠み、それを知った清盛が、「頼政を忘れていた」と推挙したことになっている。九条兼実が日記『玉葉』に「第一之珍事也」と記しているように、平氏以外の武士が公卿(従三位)となるのは異例であった。

頼政はこの時70代半ばを超えた老齢で、念願の三位叙位が叶った翌年には出家して、家督を嫡男の仲綱に譲った。

挙兵の動機
以仁王と頼政が反平氏を唱えた挙兵の意思を固めた経緯と動機には諸説ある。

『平家物語』では、挙兵の動機は、頼政の嫡男・仲綱と平宗盛(清盛の三男)の馬をめぐる軋轢ということになっている。宗盛が仲綱の愛馬“木の下(このした)”を欲しがった。仲綱は断ったが、宗盛は平氏の権勢を傘にしつこく要求し、頼政に諭されて、仲綱はしぶしぶ“木の下”を譲った。宗盛はすぐに譲らなかったことが気に入らず、“木の下”の名を“仲綱”と改めて焼印を押し、「仲綱、仲綱」と呼んで引き回したり鞭打ったりした。この屈辱と恥辱が、頼政・仲綱父子に謀反を決意させた。

この事件が事実がどうかはともかく、平氏一門の専横と源氏への日頃の軽侮に対する長年の不満が爆発は、理由として挙げられている[2]。

他に、頼政等摂津源氏は鳥羽上皇直系の近衛天皇、二条天皇に仕える大内守護の任にあったことから、別系統の高倉・安徳天皇の即位に反発したという説もある[3]。

『平家物語』では、頼政が夜半に不遇の以仁王の邸を訪れ、謀反を持ちかけたことになっているが、当時頼政は77歳という高齢であり、皇位への道を断たれて不満を持っていた以仁王の方から頼政に挙兵を持ちかけたという見方もある[4]。

もっとも、頼政と以仁王が挙兵以前に関係を有していたことを示す証拠が、同時代の貴族の日記などの史料には存在せず、脚色の入る余地がある『平家物語』とそこから派生した書物にしか求められないことや、以前にも頼政が配流のために護送していた天台座主明雲を延暦寺大衆が奪還しに来た際も抵抗せずに奪われていることから、検非違使として以仁王を逃がした兼綱の責任を問われている最中に仏教を篤く信じる頼政が僧侶や寺院への攻撃を拒絶したため、頼政親子が命令違反で捕らえられる可能性が浮上し、追い詰められた頼政親子がやむなく以仁王側について敵対したもので、初めから謀議などはなかったという見方もある[5]。

以仁王の令旨
治承4年(1180年)4月9日、源頼政と謀った以仁王は、「最勝親王」と称し、諸国の源氏と大寺社に平氏追討の令旨を下した。皇太子どころか親王ですらなく、王に過ぎない彼の奉書形式の命令書は、本来は御教書と呼ばねばならないが、身分を冒してこう称した。

原文は『吾妻鏡』や『平家物語』に納められているが、令旨としての形式に不備があり、史料によって文言に異同がある。内容は自らを壬申の乱の天武天皇になぞらえ、皇位をだまし取る平氏を討って皇位に就くべきことを宣言するものであった。

『平家物語』には、挙兵を呼びかける諸国の源氏の名が列挙されている。源光信(美濃源氏)、多田行綱(多田源氏)、山本義経(近江源氏)、武田信義、一条忠頼、安田義定(甲斐源氏)、伊豆の源頼朝、陸奥の源義経などの名があるが、当時の重要人物の欠落や錯誤が多く、後世の創作と考えられている[6]。その一方で、以仁王は園城寺退去以後に1通の文書を作成しており、これが令旨であった可能性も指摘されている。これは『愚管抄』に以仁王が滞在している間に「宮の宣」が出されたというもので、『平家物語』においては5月19日に源行家が伊勢神宮に納めたとされる願文にも「最勝親王の勅」というものが登場し、4月9日の令旨に類似する部分もあるものの、5月15日に園城寺に逃れた件まで引用されている。つまり、園城寺に逃れた直後に作成されたもので、行家が(4月9日の令旨ではなく)これに基づいて活動しているというものである。宣者が源仲綱(頼政の子)になっており作成日時が頼政らが合流した22日以後になるという矛盾はあるものの、「最勝親王の命」・「一院第三親王の宣」という命令書が出されて王の没後も流布していたことが『玉葉』や『明月記』にも登場すること(ただし、両書とも以仁王生存説にかこつけた偽書と推測しているが、両者とも実物は見ていない)から、4月9日の令旨は創作としても、園城寺に入った後に「以仁王の令旨」と呼ばれるのに相応しい文書が作成され、『吾妻鏡』に先行して成立したとみられる『平家物語』がそれをモデルとした可能性は考えられる[7]。

この令旨を伝達する使者には、熊野に隠れ住んでいた源行家(源為義の末子)が起用された。行家は八条院の蔵人で、以仁王と近い関係にあった。行家は令旨の日付と同じ4月9日に京を立ち、諸国を廻った。4月27日には、山伏姿の行家が伊豆北条館を訪れ、源頼朝に令旨を伝えたという。

挙兵露見
園城寺行家は4月から5月にかけて東国を廻ったが、5月初めには計画は露見した。『平家物語』によると、密告したのは熊野別当湛増である。令旨によって熊野の勢力が二つに割れて争乱に発展したため、湛増が平氏に以仁王の謀反を注進したのである。

5月15日、平氏は以仁王を臣籍降下させ、「源以光」と改めた上で、土佐国への配流を決定した。検非違使別当・平時忠は、300余騎を率いて以仁王の三条高倉邸に向かった。この中に頼政の次男・兼綱が加わっていたことから、平氏は頼政の関与は察知していなかったようである。

仲綱から知らせを受けた以仁王は、女装して邸を脱出、御所では長谷部信連が検非違使と戦って時間を稼ぎ、以仁王は園城寺へ逃れた。

16日、平氏は園城寺に以仁王の引き渡しを求めたが、園城寺大衆はこれを拒否した。以仁王は興福寺と延暦寺にも協力を呼びかけた。大寺社が相手では平氏も容易には手が出せず、数日が過ぎた。

21日、平頼盛、教盛、経盛(以上、清盛の弟)、知盛、重衡(以上、清盛の子)、維盛、資盛、清経(以上、重盛の子)、そして源頼政を大将とする園城寺攻撃の編成が定められた。この時点でもまだ頼政の関与は露見していなかったのである。

その夜、頼政は自邸を焼き、50余騎を率いて園城寺に入り、以仁王と合流した。

橋合戦
23日、園城寺で衆議が行われ、六波羅(平氏の本拠)夜討が提案されたが、平氏に心を寄せる者[8]が議論を長引かせ、夜討は立ち消えとなった。この間に平氏は調略を行い、延暦寺大衆を切り崩した。園城寺も危険になったため、25日夜、頼政と以仁王は1000余騎を率いて園城寺を脱出し、南都興福寺へ向かった。知盛、重衡を大将とする平氏は2万8000騎[9]でこれを追った。夜間の行軍に疲れた以仁王は幾度も落馬し、やむなく宇治平等院で休息を取ることになった。

26日、宇治川を挟んで両軍は対峙した。『平家物語』のこの場面は「橋合戦」と呼ばれる。頼政の軍は宇治橋の橋板を落として待ち構え、川を挟んでの矢戦となった。『平家物語』には、頼政方の五智院但馬や浄妙明秀、一来法師といった強力の僧兵たちの奮戦が描かれている。

宇治橋攻めあぐねた平氏の家人・藤原忠清は、知盛に河内路への迂回を進言した。下野国の武士足利俊綱・忠綱父子はこれに反対し、「騎馬武者の馬筏で堤防を作れば渡河は可能」と主張した。17歳の忠綱が宇治川の急流に馬を乗り入れると、坂東武者300余騎がこれに続いた。

渡河を許したため、頼政は宇治橋を捨てて平等院まで退き、以仁王を逃そうと防戦した。頼政方は次第に人数が減り、兼綱は討たれ、仲綱は重傷を負い自害した。頼政はもはやこれまでと念仏をとなえ、渡辺唱の介錯で腹を切った。

以仁王は30騎に守られて辛うじて平等院から脱出したが、藤原景高の軍勢に追いつかれ、山城国相楽郡光明山鳥居の前で、敵の矢に当たって落馬したところを討ち取られた。

院御所議定
27日、院御所議定が開かれ、謀反を起こした園城寺・興福寺に対する措置が議論された(『玉葉』『山槐記』同日条)。議定の始まる前に宗盛・時忠・藤原隆季・藤原邦綱が集まり、高倉上皇の御前で「内議」を行っている。

議定において源通親・隆季は「園城寺は衆徒が退散したので張本人を捕らえるだけで良い。しかし、興福寺は謀反に同意した罪は軽くない。すみやかに官軍を派遣して攻撃し、末寺・荘園を没収するべきである」と主張した。その他の公卿は「張本人を差し出すように要求して、拒否されてから官軍を派遣するべきだ」と慎重論を唱え、右大臣・兼実、左大臣・経宗もこれに同意した。

経宗が左少弁・藤原行隆を呼んで、高倉に議定の意見を奏聞しようとしたところ、隆季は「興福寺別当・権別当が衆徒を制止できないと言い切っているのに、どうして使者を派遣する必要があるのか。どの道を通って誰に下達するつもりなのか」と抗弁した。兼実が「一宗を磨滅して何の益があるのか」と反論したため、隆季は不快の色を見せた。その後、奏聞から戻ってきた行隆が以仁王誅伐の情報を伝えたため、興福寺即時追討論は退けられた。

兼実は、隆季・通親の申状を「権門(清盛)の素意を察し、朝家の巨害を知らず」と激しく非難している。

戦後
その後しばらくの間、以仁王の生存説が噂され、またそれが反平氏運動に利用された。園城寺と興福寺は再び平氏への反抗の動きを見せ、その結果12月11日に堂塔などの宗教的要素の濃い部分には手を触れないことを条件として日本史上最初の仏教寺院への本格的武力行使となる園城寺攻撃が行われた。平氏を中心とした官軍は攻撃に慎重を帰し、金堂に火が終え移った際には戦闘を中断して鎮火に努めたという(『玉葉』・『山塊記』12月12日条。なお、『百練抄』・『平家物語』・『吾妻鏡』は大半あるいは全域が炎上したとするが、日記などの同時代史料にこうした記述はない)。だが、12月28日に平重衡らの兵によって興福寺他南都の寺院が焼き討ちにあっている(ただし、これは連絡ミスによる失火と考えられている(南都焼討))。

以仁王と頼政の挙兵は短期間で失敗したが、その影響は大きく、以仁王の令旨を奉じた源頼朝や源義仲、甲斐源氏、近江源氏などが各地で蜂起し、治承・寿永の乱の幕を開けることになる。

八条院の御所にいた以仁王の子供たちは、平頼盛が連行して出家させた。そのうちの一人が北陸に逃れて源義仲に助けられる。義仲はその皇子を「北陸宮」と名付けて、上洛時にこれを押し立てて平氏とともに西走した安徳天皇に代わって皇位に就けようと画策するが、かつて以仁王が勝手に親王を称して令旨を発行したことを不快に思っていた後白河法皇によって退けられたという。

以仁王の死後も頼朝は自らの関東支配の大義名分として以仁王の「令旨」を掲げ、寿永改元後も治承年号の文書を発給している。しかし、寿永2年(1183年)後白河法皇から『寿永二年十月宣旨』によって実質上の関東支配が公認されると、以仁王「令旨」は効力を失い、頼朝も寿永年号を使用するようになる。

2009年01月24日

戦闘アニメに登場する全てのキャラクターに音声収録


シンジケ ビシー リング 毬つき パイラ ハート ピーフォ プロフ たらのき ドロー サバラン かっぽう レッドベ カード シップ バーディ デシジョン たらのき キャスク レザー ギブアン デコーダ トップ パパイヤ バイオレ オロジー テルミン テンレポ カクタス モスク もくず ミシンポ ワンコイン フォルシェ ブルガリア トロント ルーメン タウン オーソス シライド おにしま レーサコテ ファイン パワー バカロ ショーツ メニュー ヤングリ マイカー ふとう
『第4次スーパーロボット大戦S』以降、ディスクメディアの作品ではキャラクターに音声が付くようになった。『第4次スーパーロボット大戦S』の時点では、主役級の味方キャラクターにのみ短い台詞が音声収録がされていたが、『新スーパーロボット大戦』では戦闘アニメに登場する全てのキャラクターに音声収録が行われ、長めの台詞も多くなっていった。

演じる声優は極力原作と同じオリジナルキャストを起用している。ただしオリジナルキャストが引退している・故人である場合には代役が起用される。また理由は言明されていないが、現役であっても例外的に代役が起用される場合もある。なおこれらの理由で新作発売時に新規に音声収録が行えない場合でも、以前の作品で音声収録を行っている場合はそれを使い続けている。また現役である場合にも、登場する全てのキャラクターの音声収録が新規に行われる訳ではない。

中には一度芸能界を引退していた間嶋里美が『無敵ロボ トライダーG7』の竹尾ワッ太の声を当てたり、引退後に消息不明だったトッド・ギネス役の逢坂秀実を半年かけて捜し出した例もある[16]。また、砂原郁恵(『無敵ロボトライダーG7』)・ユカ・マイラス(『機動戦士Vガンダム』)のように、一度代役で音声収録された後に現役のオリジナルキャストが出演する場合もある。

異なる作品で同じ声優が演じるキャラクターが競演する場合は、戦闘時に特殊な台詞が発生する事がある他、モノマネを披露したりパロディー台詞を発する事もある。また『第3次スーパーロボット大戦α 終焉の銀河へ』の最終ボス「ケイサル・エフェス」は、演じる水木一郎が主題歌を歌った作品のユニットに攻撃をしかける場合に、その作品の主題歌やエンディングの歌詞からフレーズを拝借する事があった。

ゲームの性格上出演声優の数が多く、中にはファンを公言している声優も多い。

シリーズの歴史

シリーズの誕生
「キャラクター混載のシミュレーションRPGを作ってほしい」というバンプレストの要請を受け、ウィンキーソフトが1991年に第一作の『スーパーロボット大戦』を開発した[17]。当時、シミュレーションゲームはかなりマニアックなジャンルであったが19万本のヒットとなる[17]。敵を引き抜ける「説得」やRPGでいうところの魔法にあたる「精神コマンド」など後のシリーズに受け継がれたシステムが搭載されていたが、キャラクターが擬人化されているなど源流となったコンパチヒーローシリーズの影響が強く独自色はまだ少なかった。

手法の確立(1991〜1995年)
2作目となる『第2次スーパーロボット大戦』からは、擬人化をやめ原作の設定に準拠したストーリー展開を採用する。旧シリーズの1作目ということもあり続編を見据えたドラマ性の高い作品となったが、発売のタイミングの悪さから売り上げは振るわなかった[17]。

続く『第3次スーパーロボット大戦』ではシステムが大幅に増強され、戦術面での面白さが強化された(反撃時の行動を決定する「反撃命令」、武器の使用制限を段階的に解除する「気力」、パイロットと機体の組み合わせを変更できる「のりかえ」、好みの機体を強化できる「改造」など)。『勇者ライディーン』や『超電磁ロボ コン・バトラーV』など作品数も大きく増え、一時は中古価格が定価を上回るほどの人気となった[17]。

さらに外伝である『スーパーロボット大戦EX』では脇役であった『魔装機神サイバスター』にスポットをあてオリジナルのストーリーを展開。システム面では武器を強化する「武器改造」が追加された。

そして旧シリーズ最終作となる『第4次スーパーロボット大戦』においては、システムの更なる追加(機体にアイテムを装備できる「強化パーツ」、パイロットの特別な能力を再現した「特殊技能」、バンプレストオリジナルによる「主人公」、反撃のマニュアル指定など)と、作品数の更なる増加によるシナリオのボリュームアップが行われた。システム・シナリオ両面でクオリティが一定のレベルに到達した本作はシリーズの基本フォーマットとして後の作品に受け継がれていくこととなる。

ディスクメディアへの移行(1996〜1998年)
プレイステーション・セガサターンといったディスクメディアを採用したハードへの移行に伴い、本シリーズも大容量を生かした音声による演出を採用するようになる。移植作である『第4次スーパーロボット大戦S』では試験的に一部の主役級キャラクターのみに音声がつけられたが、続く『新スーパーロボット大戦』では戦闘を行う全てのキャラクターに音声がつくようになった。さらに『スーパーロボット大戦F』では原作の名場面などの重要なイベントで音声が流れる「DVE(ドラマチックボイスイベント)」が採用されたほか、実験的に特殊台詞が採用され、限定的ではあるが関係のあるキャラクター同士で掛け合いが発生したり、パイロットと機体の組み合わせ次第で違った台詞を言うようになった。このように音声の採用は演出面を強化したが、新旧さまざまな作品が登場するシリーズの特有さ故に新たな問題を生み出した(声優の人数が多いことからくるスケジューリングの困難さ、古い作品のために演技を忘れてしまった声優のサポート、引退してしまった声優の捜索など[16])。

『新スーパーロボット大戦』では音声だけでなく、『スーパーロボット大戦外伝 魔装機神 THE LORD OF ELEMENTAL』で行われたリアルサイズによる表現も採用されていた。結果的に定着はしなかったが、副産物としてパイロットのカットインが定着した[18]。『スーパーロボット大戦F』では再びSDによる表現にもどり、3Dを採用した『スーパーロボット大戦Scramble Commander』の登場までリアルサイズによる表現は採用されなかった。

その一方で、これまでスパロボシリーズを製作してきたウィンキーソフトが、初期作品の移植作である『スーパーロボット大戦コンプリートボックス』を最後に製作を離れ、バンプレストはそれを機に『スーパーロボット大戦F』などの初期作品における様々な反省から、難易度を低くするなどの初心者に配慮した作品を製作するようになった。しかし、ウィンキーソフトの離脱により『魔装機神 THE LORD OF ELEMENTAL』関係の版権が複雑化する事になり、バンプレスト側はキャラクター側の、ウィンキーソフト側は世界観関係の版権をそれぞれ保有しており[要出典]、結果的に現在までの作品に影響を与える事になった。

新たな手法の模索(1999〜2000年)
マルチプラットフォーム展開を逆手に取り、後の統合を見据えてそれぞれの作品で異なる取り組みが行われた。

複数のロボットが同時に画面に表示され協力して戦う「合体攻撃」(『スーパーロボット大戦64』)や「援護システム」(『スーパーロボット大戦COMPACT2』)をROMカートリッジの作品で試験的に導入し実現させた上でディスクメディアの作品へも定着させていった。
『スーパーロボット大戦α』ではこれまで作業量的な問題から避けていた[9]戦闘シーンのフルアニメーションにも着手し、製作期間の増大につながったがユーザーからは高く評価されシリーズ最高の売り上げを記録した。
『新スーパーロボット大戦』にて登場した『超機大戦SRX』をバンプレストオリジナルの設定の大本に据えて、設定を整理・統一するという試みが行われた。また、先行する『スーパーヒーロー作戦』にて『スーパーロボット大戦α』の重要人物を登場させパラレルワールドを臭わせたり[20]、『スーパーロボット大戦α』ではストーリーの根幹をなすなどバンプレストオリジナルを全面に押し出した展開が行われた。

3本柱構想の成立(2001〜2007年)
『スーパーロボット大戦α』のヒット以降ユーザーは大幅に増加したが、1本の作品ですべてのユーザーが希望するロボットを登場させることが困難になってきたため、シリーズを3つのタイプにわけ展開することになった[9]。

今までのファンをターゲットにした王道を行くαシリーズ
プレイステーション2をプラットフォームにしていることもあり、膨大な作品数やスケールの大きなストーリーなど非常にボリュームのある内容となっている。
若年層をターゲットにした任天堂携帯機シリーズ
携帯ゲーム機の主な購買層である若年層に合わせ比較的新しい作品を採用している。なおプレイステーション2で発売された『スーパーロボット大戦MX』も傾向としてはこちらに含まれる。
バンプレストオリジナルのみで構成されたOGシリーズ
『スーパーロボット大戦α』にて行われたバンプレストオリジナルの統一をさらに押し進め単独シリーズとして独立させた。アニメ化や関連商品の発売など独立した人気を得ている。ちなみに『スーパーロボット大戦α』開発時には、『魔装機神 THE LORD OF ELEMENTAL』の新展開についても言及されていたが、こちらは現在まで実現していない。

現在
版権作品が全く登場しない「OGS」が発売されたにも関わらず、売り上げは好調であった。 そして寺田貴信プロデューサー自らが全国を回りトークイベントを行うなど、プロモーション活動も積極的に行っている。

ゲームシステム
本作は、ストーリー展開によって順次指定されるマップ上で、自軍の指定するユニットを出撃させ、それを動かす事で敵を全滅させるのが目的のシミュレーションRPGである。個性豊かなユニットの能力を生かし、「精神コマンド」などを使いながら攻略していく。

シリーズ登場作品
本作は戦争をテーマにした作品のため、登場するロボットアニメ作品を主に「参戦作品」と表記している[21]。登場している作品一覧はゲームのパッケージには記載されていない為、どのようなアニメ作品が登場しているかは公式サイトなどで各ユーザーが情報収集する必要がある。

『ガンダム』・『マジンガー』・『ゲッターロボ』の3シリーズは「スパロボシリーズの主人公」とされており[22]、ほぼ全ての作品に揃って登場している。この3シリーズに加え、現代から近未来の地球圏及び太陽系を舞台とした作品が主に採用される。逆に設定上で現実世界とは時間軸・空間軸で繋がらない架空世界を舞台とした作品[23]の採用は珍しく、それらの作品が採用される際にはゲーム中の舞台そのものを異世界にする[24]などの措置が取られる。また携帯ゲーム機作品は低コストでの製作が可能な事もあり[25]、据え置き機作品に比べると知名度などで劣る作品を採用する[26]など実験的な試みでの採用が行われている。シリーズ初期には開発担当者の趣味で登場作品が決められていたが[2]、近年では行われておらず[14]終了から1年程度経過した作品をメインに採用している[5]。

ロボットアニメに属さないとされるアニメ作品[27]、漫画やゲームのみで展開されている作品[28]も採用されている。一方で『スーパーロボット レッドバロン』・『大鉄人17』といった特撮作品は、派生作品である『スーパー特撮大戦2001』に登場するのみで、「特撮とアニメの世界観を合わせるのが難しい」との理由[29]から未だに採用されていない。

また登場作品はかつての親会社で現在は同じバンダイナムコグループ傘下のバンダイが玩具スポンサーとして関わった作品が殆どである。イベントなど[30]で寺田プロデューサーは、タカラトミーやコナミなどバンダイと競合関係にある会社から玩具などが発売された作品(「トランスフォーマーシリーズ」・「ゾイド」・「マグネロボシリーズ」・「勇者シリーズ」・「エルドランシリーズ」・「天元突破グレンラガン」・「Z.O.Eシリーズ」・「サクラ大戦シリーズ」等)は、登場させることができないと語っている。ただし『鋼鉄ジーグ』・『勇者王ガオガイガー』(共に当時タカラ)、『伝説巨神イデオン』[31]・『絶対無敵ライジンオー』・『機獣創世記ゾイドジェネシス』(共に当時トミー)のような例外[32]もある。

具体的な登場作品の一覧はスーパーロボット大戦シリーズの参戦作品一覧を参照。

メディア展開

アニメ
スーパーロボット大戦ORIGINAL GENERATION THE ANIMATION(OVA、2005年)
『スーパーロボット大戦ORIGINAL GENERATION2』の後日談を描いたOVA作品。
スーパーロボット大戦OG -ディバイン・ウォーズ-(TVアニメ、2006年10月 - 2007年3月)
『スーパーロボット大戦ORIGINAL GENERATION』のリュウセイ編を新解釈で進行したアニメ作品。

ドラマCD
スーパーロボット大戦α ORIGINAL STORY(2001年)
『スーパーロボット大戦ORIGINAL GENERATION』リュウセイ編のベースとなったドラマCD。全4巻。タイトルに『スーパーロボット大戦α』とあるが、同じキャラクターが出ている以外に『スーパーロボット大戦α』との関係は特にない。
スーパーロボット大戦 ORIGINAL GENERATION THE SOUND CINEMA(2005年 - 2006年)
上記OVAのサイドストーリー。

コミック
スーパーロボット大戦α THE STORY 竜が滅ぶ日(作:長谷川裕一)
『スーパーロボット大戦α』本編の前日談。「マガジンZ」連載。
スーパーロボット大戦α さいこどらいばぁず(作:こいでたく)
『スーパーロボット大戦α』のスーパー系のクスハが主人公のギャグ漫画。「月刊ファミ通ブロス」連載。全1巻。
鋼の救世主(作:富士原昌幸)
『スーパーロボット大戦α外伝』を漫画化したもの。
衝撃騎士団-インパクトナイツ-(作:環望)
『スーパーロボット大戦IMPACT』を漫画化したもの。
超機人 龍虎王伝奇(作:寺田貴信/画:富士原昌幸、2002年 - 2003年)
OGシリーズの超機人たちの過去を描いた作品。「スーパーロボットマガジン」連載。
スーパーロボット大戦OGクロニクル(2005年 - )
OGシリーズの短編集。「電撃スパロボ!」に掲載。
スーパーロボット大戦OG -ディバイン・ウォーズ-(作画:木村明広、監修:寺田貴信、原作:バンプレスト、(2006年 - )
『スーパーロボット大戦OG -ディバイン・ウォーズ-』のコミカライズ。「電撃大王」連載。
Record of ATX(作:寺田貴信/画:八房龍之助、2007年 - )
『スーパーロボット大戦OG -ディバイン・ウォーズ-』をキョウスケの視点で描いた(後にアニメとは異なる独自展開になった)作品。「電撃ホビーマガジン」連載。

雑誌連載
電撃ホビーマガジン
スーパーロボット大戦ORIGINAL GENERATION
スーパーロボット大戦SUPERSTATION
ファミ通PS2
スパロボProject
ゲーマガ
SECRET HUNGAR[33]

ラジオ
ラジオ・スーパーロボット魂
スパロボOGネットラジオ うますぎWAVE

プロモーション

スパロボイメージガール
シリーズのCM、イベント等に出演し販促活動を行う女性タレント。加藤夏希は製作サイドへの直訴の結果、声優としてゲーム本編(『第3次スーパーロボット大戦α 終焉の銀河へ』)への出演も果たした。[34]

加藤夏希(2005年)
中川翔子(2007年)
イベント
不定期で行われているファン感謝イベント。開催時期は特に決まっておらず、節目の年や新作発売前などに開催される。スタッフトークショーやクイズ大会、ミニライブなどが行われる。

スーパーロボット大戦大感謝祭 激闘!真夏のスパロボ伝説
1999年8月20日に開催。[37]『スーパーロボット大戦α』を発表。
スーパーロボット大戦感謝祭2002 ~生誕より10年+α。そして次なる戦いへ。
2002年11月30日に開催。[38]『第2次スーパーロボット大戦α』を発表。
スーパーロボット大戦感謝祭2005 ~1,000万本の感謝をこめて
2005年2月12日に開催。[39]『第3次スーパーロボット大戦α』とOVA『スーパーロボット大戦ORIGINAL GENERATION THE ANIMATION』を発表。
スパロボ15周年記念「鋼のOG祭り」
2006年4月22日に開催。[40]『スーパーロボット大戦OG ORIGINAL GENERATIONS』とテレビアニメシリーズ『スーパーロボット大戦OG -ディバイン・ウォーズ-』を発表。
スーパーロボット大戦OGトークライブ ~秘密の宴~
2006年7月22日に開催。[41]小規模の会場で行われた『スーパーロボット大戦OG ORIGINAL GENERATIONS』に関するトークライブ 。
スーパーロボット大戦感謝祭2008
2008年4月19日に開催。[42]『スーパーロボット大戦Z』を発表。
スパロボZ ~真夜中の宴~
2008年6月28日に開催。[43]「スーパーロボット大戦感謝祭2008」の模様を放送。

関連作品
キャラクターや設定に共通項がある作品
コンパチヒーローシリーズ
シャッフルファイト(1992年、FC) - サイバスター出演
ヒーロー戦記 プロジェクト オリュンポス(1992年、SFC) - ギリアム初出、マサキ、シュウ出演、『スーパーロボット大戦ORIGINAL GENERATION2』と設定がリンク
バトルドッジボールII (1993年、SFC) - ゲシュペンスト(ギリアム)、ロア出演
バトルサッカー2 (1994年、SFC) - サイバスター、ロア出演
ザ・グレイトバトルIV - コンパチカイザー、ロア出演
スーパーロボットシューティング(1997年、PS) - 真ゲッターの設定を流用
リアルロボッツファイナルアタック(1998年、PS) - SRXチーム出演
スーパーロボットスピリッツ(1998年、N64) - レビ初出、SRXチームのテーマソング「鋼の魂」がCMソングとして初出、『新スーパーロボット大戦』『スーパーロボット大戦α』と設定がリンク
スーパーヒーロー作戦(1999年、PS) - イングラムほか初出、『新スーパーロボット大戦』『スーパーロボット大戦α』と設定がリンク
リアルロボット戦線(1999年、PS) - リュウセイ出演
リアルロボットレジメント(2001年、PS2) - オリジナル機体の設定に関連あり
スーパーロボットピンボール(2001年、GBC) - ラスボスの没デザインを『スーパーロボット大戦R』に流用
Another Century's Episode(2005年、PS2) - 量産型ゲシュペンストMk-II出演
類似コンセプト作品
バトルコマンダー 八武衆、修羅の兵法(1991年、SFC) - ガンダム、マジンガー、ゲッターロボなど複数のロボットアニメによるクロスオーバー作品・シミュレーションゲーム
ブレイブサーガシリーズ - 勇者シリーズによるクロスオーバー作品・シミュレーションゲーム
サンライズ英雄譚シリーズ - サンライズのロボットアニメによるクロスオーバー作品・シミュレーションゲーム
NAMCO x CAPCOM - スパロボシリーズの開発に参加した森住惣一郎がディレクター。『無限のフロンティア スーパーロボット大戦OGサーガ』ではこの作品のキャラクターがゲスト参戦する。
システムを継承している作品
スーパー特撮大戦2001
リアルロボット戦線
新世紀勇者大戦
Z.O.E 2173 TESTAMENT

2009年01月17日

ドラゴンクエストシリーズ

本シリーズの戦闘シーンは、ドラゴンクエストシリーズなどに代表されるプレイヤー視点の形式と対照的に、『FFVI』までの2D作品では、戦闘はプレイヤーサイドと敵サイドが向かい合い、その様子を横から眺めるという「サイドビュー形式」、『FFVII』以降の3D作品ではカメラアングルがめまぐるしく変化しながら戦闘の様子が映し出される形式となっている。

『FFXI』『FFXII』以外はエンカウント制によるバトルとなっており、エンカウント率によってバトルの発生を決める。尚、装備によってエンカウント率を下げることも可能である。

各キャラクターは打撃や魔法など、様々な手段で戦闘を進めていく。魔法についての詳細はファイナルファンタジーの魔法形態の項目を参照のこと。各キャラクターの行動順序は、作品によってそれぞれ以下のようなシステムで決定される。

ユーロ ドラゴン セカンド ナビラッコ バリヤ サーチ天延 セスカーナ ユッカ 京いも パレス レオタガ オマーン フライト リポジ ピンク チャコール サドルシ ライト じゃじゃん シキミ エッジ カチュ クロロ 学園天国 ソワレ ダイレーザ ハンサム シート ニアピン ロハス ラナン ソコン かすかわ 星のフラ シューズ フーズ トレーサー ターピース ルカラー 天羽 シャープ パオトウ くずまき マミー スウェ フォトカ そけい メトニミ フランス スリーエム

ターン制
第1作から『FFIII』で登場。味方が全員コマンドを入力すると「1ターン」が始まり、概ねすばやさの高い順に行動する。
ATB(アクティブ・タイム・バトル)
『FFIV』から『FFIX』、『FFX-2』で登場。敵味方とも時間経過とともにゲージが溜まってゆき、そのゲージが溜まった者から行動を決定・開始できるというシステム。ファイナルファンタジーシリーズの戦闘の顔ともいえる。なお、ATBは当時業界初の新システムで、スクウェア(現スクウェア・エニックス)は特許(特許第2794230号)を取得している。かつてシステムは特許の対象外とされていたが、ソフトウェア関連発明の保護が重要視される状況にスクウェアが敏速に対応したと言える。
CTB(カウント・タイム・バトル)
『FFX』で登場した独自のシステム。詳しくは『FFX』を参照。
RTB(リアル・タイム・バトル)
『FFXI』で登場。入力コマンドが即時に行動に反映される。ただし魔法などには効果発動までに『詠唱時間』、再び使えるようになるまでの『再詠唱可能時間』(待機時間)が存在する。
ADB(アクティブ・ディメンション・バトル)
『FFXII』で登場。フィールド画面(移動画面)と戦闘画面とが一体化している。詳しくは『FFXII』を参照。
敗北条件
味方全員が戦闘不能及び石化、ゾンビになる。など。主な条件は以上である。
勝利条件
敵モンスターの全滅及び特定の敵を撃破すること。ミッションなどもありそれぞれミッションの成功条件が勝利条件になることもある。
隊列
『FFI』から『FFIX』で登場、並び順で上にいる人の方が攻撃を受けやすい(『FFI』、『FFV』、『FFVI』、『FFVIII』)方式だったが『FFII』から『FFVII』、『FFIX』のFFシリーズでは、前列と後列の概念が登場する。後列は前列に比べて打撃ダメージが半分になるが、自分の物理攻撃も半分になってしまう。『FFII』では弓以外絶対に当たらない。また、魔法・弓などの一部の武器は隊列に関係なく攻撃できる。

基本用語
作品に関連して頻繁に登場する用語で、独自の意味を持つもの。

クリスタル
不思議な力を持つ結晶。世界中のありとあらゆるものを支える存在になっている。
ギル
通貨単位。
ポーション
HPを回復するアイテム。上位に「ハイポーション」「エクスポーション」等がある。2006年にサントリーが、ファイナルファンタジーXII ポーションとして商品化した。
エーテル
MPを回復するアイテム。
エリクサー
一人のHP・MPを完全回復するアイテム。この効果を味方全体に及ぼす「ラストエリクサー」もある。IIでは「エリクシャー」という表記だが効果は同じ。ただし『FFXI』のみ効果が低くHP、MP共に最大値の4分の1しか回復せず、ハイエリクサーで初めて半分回復する。
飛空艇
はるか上空を高速で移動する乗り物。
シド
FFシリーズを通して登場するキャラクターの名前。『FFII』から登場している。各作品で設定は違うものの、なんらかの形で主人公達に協力する。時にはプレイヤーキャラクターである事もある。飛空艇に関わっている事が多い。シドがプレイヤーキャラクターである作品は、『FFIV』『FFVII』『FFタクティクス』。『FFI・IIアドバンス』の中の『FFI』では、村人の話の中でルフェイン人の先祖だとされている。
ハイウィンド
『FFII』『FFIV』『FFV』『FFVII』に登場するキャラクターの名前。空に因むキャラクターに付けられている。『FFVII』では飛空艇の名前でもある。ゲーム中では登場しないものの、設定として付けられているキャラクターがいる。
チョコボ
『FFII』から登場した、大型の鳥のような生き物。移動に利用できる。「クエッ」と鳴く。さまざまな形で人間と共存している。FFシリーズのマスコット的存在となっている。また、チョコボが主に活躍するゲームソフトがある。
モーグリ
『FFIII』から登場した、小型の白い生き物。「クポー!」と鳴き、作品によっては人間の言葉をしゃべる。人目を避け隠れ住む場合がほとんどだが、『FFIX』や、『FFXI』、『FFXII』などでは、世界規模の独自の文化を形成し人間と共存する。
ジョブ
特殊な能力を持つ職業のこと。FFシリーズにおいてはキャラクタークラスの意味で使用されている。『FFI』『FFIII』『FFV』『FFXI』に登場するが、各作品ごとに扱いが大きく異なる。同義に『FFX-2』のドレスがある。例「戦士」「黒魔道士」。
アビリティ
何らかの方法で習得した特殊な能力や技。自分自身の装備枠の許す限り設定しておける。
たたかう
いわゆる「打撃」のこと。武器または素手で攻撃する。最も基本的なコマンドと言える。
召喚獣
召喚士がアビリティで「召喚」することによって現れる強大な存在。人、獣、竜などさまざまな形状で現れ、通常の魔法では得られない絶大な効果を発揮する。
戦闘不能
HPが0である状態。倒れてしまい、行動することができなくなる状態。ファミコン版『III』以前では当時の他のRPG作品同様「死亡」表現であったが、『FFIV』以降は物語中の死亡と区別するためこの表現に変更された。システム的には「死亡」とほぼ同じ。
セーブポイント
『FFIV』以降に登場する。フィールドマップ以外でプレイ経過を記録したり、テントを張って休息したりできる地点である。特殊な結界・物質であるが、『FFIX』ではモーグリがこの役割を代行している。当たり前ではあるが、オンラインゲームである『FFXI』には登場せず、変わりに戦闘不能時やデジョンなどの魔法で戻れるホームポイントが存在する。
ⅩやⅫでは触れるだけで異常やHPやMPが全回復する。

ラグナロク
北欧神話の「神々の黄昏」を意味する、
架空の剣
ラグナロク (ファイナルファンタジー)を参照。
飛空艇の名前
飛空艇#ファイナルファンタジーシリーズ、「ファイナルファンタジーVIII」の項を参照。
召喚獣の名前